グローバルは愛の総和

f:id:sailch-blog:20200512182445j:imageコロナのおかげで娘はオセロを覚えました。私、そんなに強くないのでもう追い抜かれそうです💦

こんにちは、皆様。世界を愛で語るブログ、第18回です。

 

今日は、同じSail of the Lord Church(セイルオブザロードチャーチ)に通う方が書いているアンデレ日誌

(https://hr-od-sail.hatenablog.com/entry/2020/05/11/213538)

というブログに、気になる内容がありましたのでご紹介します。

 

在宅勤務が前提でチーム作りをすると、普段は無意識で入ってくる情報が入ってこないので、仕事には集中できるけれど、お互いの状況が見えにくいというお話しでした。

 

この話で思い出したのですが、知り合いの人事のヘッドハンターの方も、最近、こんなことをおっしゃっていました。

 

「日本の企業は、中途採用をするとき、このコロナの環境下でも、絶対に、最後に一度でもいいから直接会って面接をしたいという。海外が本社の会社は全然そんなことないのに。」

 

日本では、直接会って話すことが重視される。これには色々な理由があると思うのですが、アンデレ日誌さんがおっしゃったように、文化的には、日本は、特に欧米系のコミュニティに比べて、言葉以外でのコミュニケーション(non-verbal communication)の比率がとても高いことが影響しているかもしれません。

 

これについて、私はエリン・メイヤーさんの「異文化理解力」という本を読んで、数年前から自分の業務を通じて検証してきました。

 

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会社でのコミュニケーションを観察していると、やはり欧米系の会社で育った方は、論理的な思考を言語化して、対話や議論をすることに重きを置いているのがよく感じられました。

 

日本などのアジアの会社では、言語外の事象から情報を読み取る能力が重視されますが、それゆえか、思考を言語化することには欧米の方ほど重きを置いていないようで、表面的にはロジカルに見えないときがあるようです。

 

したがって、欧米系の会社に慣れ親しんだ方は、アジア系の会社の経営がロジカルに言語化されていないことにストレスを感じますし、逆に、何でもロジカルな議論を要求する欧米のスタイルには、アジア系の会社で育った方は戸惑う傾向があります。

 

こういう場面で私がいつも心がけるのは、これは、どちらが優れているか、という問題ではなく、企業だけでもない国や民族の文化の違いが背景にあることであり、それを分かって、お互いに尊重し、理解することが解決の第一歩だということです。

 

最近、よくグローカル(グローバルとローカルを合わせた造語、おおむね、グローバルに開かれたローカル、というくらいの意味で使われているようです。)といいますが、そもそも、グローバルとは、ローカル×ローカルの総和であり、ローカル同士の相互理解と尊重の上に成り立つものだと実感します。

 

たとえば、アメリカ、日本、韓国、という3ヶ国をとっても、企業のカルチャーは全く違います。その背景には文化の違いがあると思うのですが、この続きは次回にお話ししたいと思います。

 

グローバルは、つまり愛の総和

 

世界を愛で語るブログでした。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。