そのギャップを埋めるのは愛だ
皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、第39回です。
今日はギャップについて書きます。
私が大好きなラグビーで、ギャップといえば、守る側のチームの選手と選手の間に、前後に大きな穴ができていることをいい、この穴をめがけて攻撃側の選手がボールを持って走り込むことを、業界用語で「ギャップを突く。」といいます。
すみません、ラグビーの話はここまでです。
さて、私はもともと感受性でものを表現するよりも、状況の客観分析に力を発揮するタイプであり、職業柄、粉飾や嘘に敏感です。
ですので、何も考えずに発言すると、肯定的な発信よりも微妙にシビアで愛想のない発信が増えます。
一方、妻氏は、感受性と芸術性が豊かで、美しいものや素敵なもの、時には関西人らしくおもろいものを、その時その時、さらさらっと感覚的に見つけてきて話すので、夫婦の会話には時々、大きめのギャップができます。
私の返答の愛想のなさに、時々妻氏がそのギャップを突いて下さるのですが、そこでギャップで思い出したことがありました。
事実と考えのギャップについてです。
弁護士だけでなく、裁判官、検事は仕事柄、客観的な事実を証拠から積み上げていく訓練を受けて実務でも絶えず行っています。
つまり、弁護士は、ほぼ自動的に、人の考えとは別に、客観的な事実をまず把握します。
そのあと、本人や関係者の話を聞きながら、動機や考えを知るようになります。
犯罪であれば、お金ほしさとか、憎しみ、怒りなどが原因の場合が多いですし、会社が絡めば、上司からの強い命令とか、それなりに、客観的な事実の流れを理解できる説明が本人からされます。
しかし、時には、「うーん、どう考えても分からないんだけど、どうしてそうなるの?」という時があります。つまり、ギャップですね。
本人に聞いてできるだけ言語化してもらっても、いまいち要領を得ません。こういうとき、もちろん、本人が嘘をついている可能性もあるのですが、そこはさすがにプロはある程度見抜けます。
では、嘘でなければ、そのギャップが生まれる原因は何でしょうか。
偉大な先輩たちから学んだ、このような時に考えられる理由の法則は、2つです。
1つは、病気。精神的な疾患を疑います。こちらは、お医者さんにご意見をうかがうことになります。
もう1つは、、、愛です。客観的な事実と本人の説明に合理的な理由がつかず、かつ、病気でもなければ、それは誰かを愛してやったとか、庇っているという、ドラマのような話は、小さくも大きくも割りとたくさんあります。しかも、本人も気づいてなかったり、認めなかったり。この手の愛はややこしい。
でもって、その愛は、本当にあなたと、あなたを愛する人のためなのか、と弁護士であれば、一緒に悩むことになるわけです(本人はあまり悩んでくれないことが、弁護士の更なる悩みになることもある。)。
我が家の会話のギャップを埋めるものも、もちろん愛です。これは、私たち家族のために間違いなくよいものです😊
そのギャップを埋めるのは愛だ
世界を愛で語るブログでした。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。