月別: 2020年12月

カフェマジカ

カフェマジカ

穴場カフェのご紹介です。

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、第91回です。

今回は、梅田にある穴場カフェ、カフェマジカに家族で行きました。

https://s.tabelog.com/tokyo/A1324/A132404/13208009/?svd=20201212&svt=1900&svps=2&default_yoyaku_condition=1

しかし、写真を撮り忘れました。まじか。

((⛄))

フレンチトーストも、スパゲッティミートソースも、見た目も美しく、美味。

ぜひ、皆様、足を伸ばしてみてください。テイクアウトもやってますよ~(* ̄∇ ̄*)

なお、本日、無料プログラミング教室も開催してきました。コロナにも負けず、毎月開催を続け、6回目です(コロナ対策は行政の求める基準で行っています。)!

娘は、プログラミング教室の前に梅田図書館に突入し、いつものように38冊ほどの本を借り出して、意気揚々と帰ってきました。

娘が、本を読んでいる横で、、、

眠い。。。

※セキセイインコは警戒心が強いため、こんな感じで寝たりすることは珍しいのですが、安心してくれているようで、嬉しい(“⌒∇⌒”)

安心感を与える愛

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愛したら輝く

愛したら輝く

素晴らしい好天の下、こんな素敵な運動場で子供たちが走りました!

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、第90回です。

昨日は、娘の通う小学校で持久走大会があり、保護者も見に来ていいとのことで、楽しみに行きました。

今年は、コロナの影響で、小学校の行事はほぼ全て中止となり、保護者の参観もなしでした。

ですので、昨日は、子供たちの姿を見られる貴重な機会でした。

娘とはしばらくの間、朝に公園で走っていたので、頑張って欲しいと思いましたが、結果は、、、

昨年より順位が1つ上がりました!娘、よく頑張ったと思います。

それにしても、天候や運動場の素晴らしさは目を見張りました。

私は昔、ラグビーを10年間やりましたが、当時は、ほとんどが土のグラウンドで土質もすごく固く、練習でも試合でも、地面との格闘でめちゃくちゃ痛い思いをしました。

一度練習すると、腿のところ辺りにめちゃくちゃ大きな擦り傷ができて、「ビフテキ」と呼んでいました。

「ビフテキ」という表現も含めて、昭和生まれのラガーマンあるあるです。

読者の皆様は、「ビフテキ」といわれて何のことかお分かりになるのでしょうか、、、。

話がそれました。「ビフテキ」に興味のある方はググっておいてください。

このような天然芝の運動場で思い切り運動できるとは、やはり時代とともに環境はどんどん良くなっているんですね。本当にありがたいことです!

大会というとつい順位に目を奪われがちですが、子供たちには、日頃からこのような環境を楽しんでほしいです。

順位をつければ、ゲーム性が出て、本人も楽しみやすいですし、自ら努力したり、親ともコミュニケーションする機会も増えてとてもよいですよね。

でも競争だけが目的になってしまって、色々な素敵なもの、貴重なものを見落としてしまうなら残念です。

ゲームをとおして、素敵な環境や、走ることの楽しさを知り、その過程を分かち合う時間をたくさんもって欲しいと思います。

それにしても、子供たちが頑張っている姿には感動をもらいました。1位でもビリでも、感動を受けてしまう。

子供たち一人一人が本当に貴重だ、と。

感動を与える子供たちの輝きは、順位そのものからくるものではなく、その子供たちの個性、努力、そして子供たちを愛して支える先生方と保護者たちの姿から来たものでした。

愛したら輝く

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それはあかんやつやわ

それはあかんやつやわ

娘と一緒に、頑張って作ったクッキー。妻氏へのお疲れさまのプレゼントです(月1回)。

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、第89回です。

今日は、「あかん」の話をします。「あかん」は、主に関西弁で「だめだ。」の意味です。「あかんわ。」というのは、「だめだこりゃ。」とほぼ同義と考えてよいと思います(関東人の見解)。

聖書で、あかんことをした代表的な人物にアカンさんがいます(旧約聖書 ヨシュア記7章参照)。そらあかん。

アカンさんは、旧約聖書で、モーセの後を継いだヨシュアの軍隊にいました。

ヨシュアの軍隊は、エリコというとてつもなく堅牢な城を、およそ人間では絶対思い付かない方法で、さくっと攻略したことでとても有名です。

簡単に言うと、7日間お城の回りを1回ずつひたすら回り、最終日には7回回って鬨の声を上げるというものでした。これは、神様がヨシュアに教えた方法であると聖書には書いてあります。

実はそのとき、神様は、他にも色々指示しており、エリコの城では、勝っても戦利品には手をつけるな、とも厳命していました。

しかし、ヨシュアの軍隊にいたアカンさんは、エリコで、綺麗なコートや2キロほどの銀、500グラムほどの金の延べ棒などに出会ってしまい、眩しさに目がくらんで、掟を破って戦利品を持ち帰り、住んでいたテントの下に隠していたのでした。

※戦争中という特殊な状況ですが、強盗、窃盗、占有離脱物横領のいずれかが成立しますので、読者の皆様は、絶対に真似しないでください。するわけないか。

それで、アカンさんは、当時の法により処分されてしまうのですが、、、

アカンさん、そらあかんやろ!と思ってしまいそうです。。。しかし、私は弁護士ですから、アカンさんの立場を弁明すべく、検討してみます。

コンプライアンスの実務では、ルール違反をするケースの背景には、自己合理化の心理が働くと言われています。

代表的な自己合理化は、以下の3つです。

1 これくらいはいいだろう。

2 他の人もやってるだろう。

3 上司の指示だから仕方ない。

3が近年話題になった「忖度」なのですが、あくまで聖書に基づく事実関係からは、アカンさんの場合、3はありません。1も、隠した品物を今のお金に換算すると300万円以上になりますから、「これくらい」という金額ではなさそうです。

そうすると、アカンさんは、「他の人もやってるだろう。」くらいに思っていたのかもしれません(あくまで推測)。

戦争が続くし、戦利品を目の前にして持ち帰りたい誘惑にかられたとき、「きっと他の人も同じ誘惑を受けて持ち帰ってるだろう。バカ正直にコンプライアンス守って、俺だけ損するのは、、、。」と思ってしまったのかもしれません。

(私はコンプライアンス担当者なので言いにくいですが、) アカンさん、その気持ちは、分からなくもないです

※繰り返しになりますが、犯罪ですので絶対に真似しないでください。しないか。

ここでむしろすごいのは、ヨシュアの軍隊のコンプライアンス意識の高さです。聖書の記述に従えば、ルール違反をしてたのは、なんとアカンさん一人です。ほとんどめったに、誰もルール違反しません。これはなかなかすごいことです。

アカンさんの他には、誰も「みんなやってるだろう。」とは考えていなかったようです。本当に素晴らしい組織ですね。

アカンさんの残念なところは、神様のことはもちろん、仲間のことも信じ切れなかったことかもしれません。

現代でも、コンプライアンス意識の高さは、仲間や組織を信じられるか、大切にできるか、にかかる部分が間違いなくあります。

どんな組織でも、信頼と愛こそが、コンプライアンス意識の高い組織を生むともいえるのです。つまり、

愛さなあかん

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愛ある突っ込み

愛ある突っ込み

Saizeriyaの季節の商品、レンズ豆とスペルト小麦のミネストローネです。

皆様、こんにちは。突然ハイペースで更新され始めた世界を愛で語るブログです。

昨年、ある関西人の先輩から、最近のお笑いは、ぺこぱさんのような「愛のある突っ込み」が主流だとお聞きしました。

そこで、今回は、聖書の中で割りとやらかしている人物について、愛のある突っ込みを試みてみようと思います。

記念すべき第1回は、聖書を代表する「弟にしてやられた男」であるエサウさんです。

エサウさんは、旧約聖書の主役の一人であるアブラハムの孫で、イスラエル民族の祖先であるヤコブ(イスラエル)の双子のお兄さんです。最初の最初の創世記に登場します。

エサウさんは、弟のヤコブに2回もしてやられます。1度目は、おなかがとても空いている時に、レンズ豆のスープ一杯と引き換えに、ヤコブに大切な祝福を受ける権利(長子権)を売り払ってしまいます。

そして、3000年以上も、「価値の分からない奴だ。」的にディスられている訳です。しかし、、、

私でも売り払ったかもしれない。

おなかが空いているときに、レンズ豆のスープ。今日食べたけどおいしいです。きっと大昔ならものすごいごちそうだったですよね。

そして、ヤコブの巧みなこと。まるで、現代のイカ焼き屋さんのように、店の前で食べ物の匂いで買わせることを知っている。

な、なんだ、このうまそうな匂いは、、、もうよだれが出て仕方ない。

さらにいえば、たぶん、エサウさんは、長子権の大切さを知らなかった節がある。なぜなら、ヤコブとお母さんのリベカはグルだったのだから。

まあ、よく分からないけど、たいしたことないでしょ。口約束だし、後でどうにかなるだろうし。

だから、たぶん、私でも、知らずに売り払ってたかもしれない。

✳️ただし、口約束も契約であり、口約束だから大丈夫と軽視することは非常に危険であることは申し添えます。

だから、あえていうなら、

エサウさん、お疲れっす。

ここまで弟にこけにされたら、殺してやりたくもなるかもっすけど、結局許したエサウさんも立派です。

でも、やっぱり、貴重なものの価値を分かることは大事だとエサウさんから学んだので、貴重で価値あるものは奪われないように気を付けます。

つまるところ

グダグダでちっとも突っ込みになってませんが、愛のある突っ込み待ち

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やり残したこと

やり残したこと

ここを走っています(主に娘が)

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ第87回です。

今年もあと1ヶ月を切りました。日数を割合でいえば、残り7%。

携帯電話でいえば、もはや電源を持たせるだけが目的のレームダック。

電動自転車でいえば、最低レベルで走り繋いでなんとか自転車がただの鉄屑になるのだけは避けたいレベルです。

だが、しかし!1年においては、泣く子も黙る、先生も走る師走です!やり残したことなく完走しなければなりません!

やり残したこと、、、

そう、私にとっては、それは運動です(涙)

しかも、意外な形で運動を再開することに。

つまり、娘が小学校の持久走大会に出るから、朝からお友達と走り始めたのです。

そのため、いやがおうにも、私と妻も伴走することになりました。

距離は300m~1000mくらいで、昔の自分なら走ったともいえない距離ですが、、、とにもかくにも、走っています。

他にもやり残したことはないでしょうか。皆様はいかがでしょうか。

最後まで、思い残すことなく、やり尽くすことが、2020年を愛することだ!と心で叫んで(走ってると、ぜえぜえして叫べないので)頑張りたいと思います。

最後まで愛するぞ2020年

最後まで読んで下さりありがとうございます。

愛をあおる(自転車運転の話)

愛をあおる(自転車運転の話)

白バイのお巡りさんは、車だけでなく自転車も見つめています。お疲れ様です。

皆様、こんにちは。久々の世界を愛で語るブログ、第86回です。

筆が進まないうちに(実際はタイピングなのですが)気づいたら12月になっていました。思い残しのないように、書いていこうと思います。

さて、私たちの教会のある足立区では、「自転車安全利用指導員制度」という制度があり、大きめの交差点には、指導員の方がいらして、

「歩道は歩行者が優先です!」

「徐行してください!」

「スマホ見ながら運転しないで下さい!」

と、自転車の交通ルールを教えて下さいます。

https://www.city.adachi.tokyo.jp/kotsu/anzenshido.html

以前も自転車の交通ルールをお知らせしました(自転車運転のルール1 自転車運転のルール2)が、指導員の方から、最近特によく耳にするのは、

「自転車もあおり運転は禁止です!」

という言葉です。私も「えっ、そうなの?」と驚きましたが、確かに自転車でもあおり運転は禁止されており、10月には埼玉県で逮捕者も出ていたそうです(道路交通法第70条の「安全運転義務」違反に該当します。)。

足立区の幹線道路は、歩道でも自転車の交通量がめちゃくちゃ多いので、このような指導は、歩行者と自転車同士の安全のためにとてもありがたいです。

また、指導員の方が繰り返し、繰り返し教えてくださるので、交通ルールが頭に入ります。これこそ、広い意味でのコンプライアンス教育!素晴らしいです。

さて、私は会社でもコンプライアンス教育もしているのですが、その中でこんな質問をすることがあります。

車が全然来ない、安全な状況で、横断歩道の信号は赤です。渡りますか?

こう聞くと、渡ると答える人と、そうでない人がいらっしゃいます。割合は毎回まちまちです。

では、次の質問です。この状況ではどうですか?

車は来ないけど、となりにこどもがいる。

これですと、渡らない、と答える人の割合が格段に増えます。子供の教育によくない、と考えるんですよね。

会社の教育では次に別の質問をするのですが、ここでは皆様に、この質問をしたいと思います。

では、同じように、隣で交通整理している人(お巡りさんではない)がいたら?

渡らない、と答える方の割合が多いと思いますが、では、なぜでしょうか?

私も渡らないです。

相手は大人ですし、渡ったからといって気にしないかもしれません。お巡りさんでもないから捕まることもないかもしれません。

でも、それは、その人の仕事への敬意を欠いていることになる、と思うので、渡りません。

そして、笑顔で会釈し、可能なら挨拶やお声がけもします。

その理由は単純で、自分もそうされたら嬉しいからです。

敬意を払うこと、挨拶や笑顔で愛を贈ることで、あおるなら、愛をあおりましょう!

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者であり預言者である(マタイによる福音書7章12節)

あおるなら、愛をあおろう

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