投稿者: lawyer

信頼と確認

信頼と確認

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログです。

年末、バタバタしてる隙に乗じてか、最近、私の身の回りで、ドメイン詐欺にかかる事案が発生しました。

事案を要約して申し上げると、ある著名会社の実在の社員を名乗るメールが送られてきて、その人とやり取りしてるつもりが、実は全くの別人による詐欺だったのです。

そのメールそのものは実在の人物を名乗って送られてきましたし、メールアドレスも一見間違いなさそうでした。

しかし、よーくみると、ドメインが違ったのです。では、どこが違ったのか、似たような架空の事例でテストしてみましょう。

山田太郎さん、日本デジタル通信株式会社の社員さんとします。次のアドレスが本物だとしますと

YamadaTaro@japandigitaltushin.com

こんな感じで偽物はきます

YamadaTaro@japandigtaltushin.com

そう、正解は

愛がない、iがない、ディグタルになっている。

いやー騙されるわ、これ、ですね。

本物はもっと手が込んでたようですが、このような時、私たちが心がけたいのは、そう、

確認

です。

私たちは、よく、信頼しているから、確認しない、という行動をとります。

「これだけ有名な企業だから」「あんな立派な肩書きの方がいうことだから」「いい人だから」といった理由で信頼を確認に代替してしまう心理に陥ります。

こんな方に確認したら、気を悪くされるかな、申し訳ないな、などと、むしろ確認は悪であるかのような心理にさえ、陥ります。

しかし、このような心理を一番熟知しているのは、そう、詐欺師たちです。

だから、詐欺師たちは、信頼関係を築いてから、「私のいうことだから信用してください。」と、確認しない、しずらい心理に巧みに誘導するのです。

そして、悠々と騙してドロンします。

詐欺師に勝つには確認です。

信頼と確認は、両立します。確認は悪ではありません。

「念のため確認しますね。」という一言が、信頼を破壊することはあり得ません。

確認してこそ、見分けることができ、信頼を確信に変えることができるし、詐欺師たちを見分け、遠ざけることができます。

つまり、確認はあなたを守る神の愛だ

皆様、今年も最後まで頑張りましょう。世界を愛で語るブログでした。

収穫の秋

収穫の秋

少し前ですが、自宅でも素敵な夕焼けと紅葉を眺められました。

こんにちは、いったんインドネシアから東京へ戻ってきた愛のブログです!

秋です!!!

正確には、秋でした。もう冬ですが、当時の気分で書きます。

我が家は今、大根とさつまいもが溢れています!

なぜかというと、私の娘の通う小学校では、学校のすぐそばで畑を管理しています。そこで毎年、じゃがいも、さつまいも、大根の収穫をするのですが、私は地域の人たちと一緒にこちらにかかわっています。

その収穫で、娘が持って帰ってきた大根とさつまいもが食べきれないほど溢れている我が家、、、中にはこんな大根も

傑作品の大根でしょうか。大根が地中で成長する際に、根が下に伸びようとする先に石があると、このように先端がそこから別れて成長するそうです。

あまりにも、豊かに食材が溢れているので、食べるだけでなく料理もしたくなり、お総菜作りを始めました。

これは自分で作ったお総菜を使った自分用のお弁当です。
ザ・自作自演(* ̄∇ ̄*)
いつもは妻が作ってくれたおかずをいれるのですが、今回は、肉と魚と梅干し、浅漬け以外の三品が自作です。
新米の味がやばそうなときは、天才味覚家の妻が調整してくれます。

切り干し大根、ひじき、大根の葉の炒め物。娘にも意外に好評でした。

自分で料理した!という感動がヤバい✨妻の誉め言葉も嬉しい♪

自分で作ったったぞ、、、という感動にも浸りつつも、ふと、畑で野菜作りして、収穫して料理して食べるまでの過程を、どこまで本当に自分がやったといえるのだろう、と考えました。

因果関係を始めから終わりまで考えてみると、やはり、始める前から土地や種や気候を準備してくださる神様がいらっしゃり、作物を育てる時もともにし、そして、収穫と実際の食の恵みまでともにし、健康まで守ってくださるのを感じます。

自分がやったことはわずかで、神様が始められた始めが本当にいつなのかを考えの目で眺めると、果てしな過ぎて、近眼も改善しそう。。。

実践してみると頭で分かるのとは全然違う恵みがありますね!日々家族の健康を支える妻とも対話が進むようになり、それも嬉しいです。

キリスト教には収穫祭というイベントがありますが、収穫の季節に感謝を捧げることはとても自然かことなんだな、と感じた秋でした。

収穫で知る神の愛

世界を愛で語るブログでした!最後まで読んでくださり、ありがとうございました(*´∀`)♪

インドネシア滞在記2(交通事情編)

インドネシア滞在記2(交通事情編)

 皆様、こんにちは。しばらくの間、こちら、インドネシアを愛で語るブログとなっております。

 お散歩中にとおりかかりました。インドネシアで2番目の競技場、ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムの入り口。8万人近く収容できるそうです。

 なお、偉そうに語るとか言ってますが、私が滞在したのはインドネシアの首都ジャカルタのたぶん中心部で、日本でいえば千代田区の有名ホテルがある一帯、みたいなところ、しかも実質3日だけ。

 なので、旅プロの方、インドネシア・プロの方は、にわかが上がって話す姿を微笑ましく見ていただけたら幸いです(^_^;)

 さて、今回は交通事情編です。なぜ、交通事情を書くのかというと、とりあえず、インドネシアで一番最初にびっくりしたのが、バイクの多さだったからです。

 インドネシアは、車もタクシーも多いですが、とにかくバイクが多いです。体感ですが、走ってる車両の3分の1から2分の1くらいがバイクです。

 したがって、バイクは常に車の脇をすり抜けていくし、すり抜けたとてバイク自体もとても多いので、赤信号では文字通りバイクが鈴なりです。本当によくぶつからないな、というくらいいつも車の横にはバイク、バイク、バイク。

 対照的に、次の3つは、ほとんどいません。ほぼ0に近い。

1. 乗り合いバス

 これがバス停ぽいのですが、バスが停まるのも、バス停で人が待ってるのも、本当にただの一度も見ませんでした。

2. 自転車

 ほぼいません。滞在中、一台だけ見ました。

3. 歩行者

 ほぼいません。ショッピングモールの周辺にはそこそこいましたが、日本のようなイメージではありません。渋谷や新宿を100としたら、たぶんショッピングモールの周辺でも道路を横断する歩行者は1にもなりません。

 ショッピングモールを離れた普通の道路では、歩道を歩いている人はほぼいませんでした。ショッピングモールからホテルまで1.5kmほど歩きましたが、一人しか会いませんでした。

 そして、自転車用はもちろん、歩行者用の信号もありません。1つも見ませんでした。横断歩道はかなり少ないですがたまにあります。しかし、警備員が誘導してくれるショッピングモール付近以外は、自己責任で渡ってくれという感じです。

 私が唯一すれ違った歩行者のおじさんは、歩行プロらしく、自動車やバイクがびゅんびゅん行き交う4車線の道(横断歩道なし)を、涼しげにゆったりと歩いて渡って来られました。

 なぜ、轢かれずに渡れるのだ( ; ゜Д゜)

 真ん中で一回止まるのがポイントのようなのですが、それもそこで止まって轢かれないの?みたいな場所だし、、、。

 そんな感じで、歩行者にプロ意識を求めるインドネシアでは、歩道がなかなかのジャングルだったりもします。

 こんな道が続くだろうと思っていると

 突然、先の見えないジャングルに遭遇したりもしました。

 かがみながら500mほど歩き続けた、、、。ここ、首都の真ん中辺じゃないのか、、、。

 なお、電車はあるぽいのですが、全く存在を確認できず、残念ながら未体験。

 私は、どこの国でもタクシーが苦手で、電車と徒歩を選択しがちなのですが、今回は苦戦しました( ̄▽ ̄;)

 香港から来た会社の同僚は、「公共交通があまり細かくないから、みんな自家用車でいくんだろうね。だから混雑すごいよね。でもって、バイク版Uberみたいのが流行ってるね。」と観察分析してました。

 確かに、2人乗りのバイクがやけに多いと思ったら、みんな同じヘルメット、、、これは、バイク版Uber!!なのか。

 こんな感じ。ドライバーは至るところに待機してます。

 Go jekという地元の会社だそうです。インドネシア版のUber、Uber eats、PayPayをまとめて1つの会社がやってるような感じです。中でもこのバイク版UberであるGorideは抜群のインパクトですね。

 でも、体験するにはインドネシア語ができないとトラブルが怖い、と日本人根性丸出しでびびり、体験はせず。

 で、結局、話の落としどころが分からないのですが、、、最先端と地元の風土が入り交じる、これぞ最新の異国情緒、ということで。

 インドネシアを愛で語る

 もうちょっとだけ、つづく。。。

インドネシア滞在記(3日だけど) 1

インドネシア滞在記(3日だけど) 1

今、現地時間午前4時13分です。眠らない空港、ジャカルタ・スカルノ・ハッタ空港。

皆様、本当にお久しぶりです。

世界を愛で語るブログ、ついにコロナ後、初の海外渡航です(仕事だけど)!

神様が最初に示された地は、インドネシアでした(人生初)!

実は、この海外渡航の前、何とか行かないで済まそうと必死に粘っていました、、、理由は

– 英語があまりうまくない上に、海外が久しぶりすぎて自信がなかった

– 娘が行く必要がないなら行くなと再三、主張

– 参加するワークショップも自分には必要なくない?と正直思った

などいくつもありました。

しかし、その辺はクリスチャンなので、神様に祈り、「ヨナのようにならないようにしてください(必死(*_*))」と願い求めたところ、どんどん外堀を埋められていき、渡航の1週間くらい前に行くことが決まりました。(信仰のよい妻は、結局、行くことになるだろうと思ってたとのこと。。。)

✳️ヨナの話を知らない方のために、聖書のストーリーはまた書きます。

行くと決まってからも、ワクチン証明書が間に合うのかとか(インドネシアは政府が認めたワクチン証明書がないと行けません=2022年11月7日現在)、色々心配ごともありましたが、

神様が行けということでしたので、全部まるっと解決され、無事に?インドネシアに到着し、つつがなく業務を遂行させていただきました。

いま、帰りの飛行機を待つ空港で、飛行機を待っています。

コロナのために、様々な手続きが必要で時間がかかると聞いていましたが、帰りの手続きは楽なものです。

イメージでいうと、コロナのせいで入国のための書類作り、現場の手続きはかなり増えたものの、帰りはどこの国も簡単で、日本の入国も事前に準備すれば簡単そう。

何回か渡航すれば慣れそうです。

これからしばらく、インドネシア滞在期間に見聞きしたこと、感じたことなど書いていきたいと思います。

私が20代くらいの頃は、海外に行くとなると、まずは「地球の歩き方」を購入して熟読し、現地で気を付けるポイントをチェックし、あれこれ計画を立てて旅行するも、そこそこ思い通りいかなくて焦るのもまたよし、みたいな感じでしたが、

今回は時間もなく、また、今はインターネットで何でも調べられるので、とりあえず丸腰で向かいました。

事前情報全くなし、そして現金も1円も換金せず。理由は、すぐにタクシーを使いたくなるから。チャンスがあれば、その辺を歩いて見て回るつもりでした(後でちょっと後悔したけど)。

ノープランの方が、現地の雰囲気も分かるかな~(*´∀`)♪本当のインドネシアに会えるかな~(´▽`)という感じで。

では皆さん、たいした話でもないですが、インドネシア話にお付き合いください。

インドネシアを愛で語る

乞う(ほどほどに)ご期待!

異文化コミュニケーション・スキル(上級編)

異文化コミュニケーション・スキル(上級編)

どこやねん

どもども~、皆様、こんにちは。

今日は、かなり高度な異文化コミュニケーション・スキルについて、皆様と一緒に考えたいと思います。

こんなシチュエーションを考えてみてください。

電車で隣に座っている人の服から、商品タグがぴろっと出ている。

皆様は、声をかけますか?

   

    

ここは

「タグが出てますよ。」

等と、気を遣って小さく声をかける方、多いと思います!

「本当ですか?ありがとうございます。」

とお返事が来ることを予想、あるいは期待しますよね。まあ、だいたいそうなります。しかし、今日は上級編ですので。

このとき、もし、声をかけられた方が、

  

「出しとんねん!」

  

と、お返事された場合、どのように返すのがよいでしょうか。今日はこれを考えてみましょう。

  

あまりの鋭角な切り返しに、フリーズしそうですよね。

  

「すみません、そうでしたか。失礼しました。」

と、脊髄反射で謝罪してしまうでしょうか。しかし、そうすると、なんかもやもやして、

「せっかく注意してあげたのに、何でそんな言い方するのだろう。教えてやって損した!」

という声が、心のなかで漏れてしまうかもしれません。人間だもの。

しかし、何でそんな言い方するの!ではなく、何でそんな言い方をするのだろう?から深入りするのが異文化コミュニケーションです。

  

この問題のポイントは、返事をされた方が、どうも関西人(大阪人?)らしい、というところです。

  

そこで、大阪出身の妻に、模範解答を聞いてみました。

  

せやな

「めっちゃ安いやん。どこで買ったん?⤴️⤴️」

で返して、楽しく大声で会話し、周囲もそれを聞いている、やな。

  

だそうです。

  

なお、「出しとんねん!」などと答えた方は、関西人による解釈では、照れ隠しの気持ちの表れである、とのことです。知らんけど。

  

そうです、お気づきのとおり、異文化コミュニケーションの道は深い。。。ていうか、誰かが教えてくれないと、絶対無理。。。。分からんて、その気持ちとか、切り返し方とか、、、。

   

人間同士、同じ日本人同士でもこうなのだから、まして神様と人間なら、どうでしょうか。

  

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
旧約聖書 イザヤ書 55:9

神様は、どうしてそのようにされるのか、どうしてそのように語られるのか。誰かが教えてくれなければ、どうして知ることができるでしょうか。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 新訳聖書 ヨハネによる福音書 3:16

  

教えてくださる主と、主を送って下さった神様に感謝します。主がいるから、教えてくださるから、私たちは神様と通じ合えるのです。

  

送る愛、通じる愛

  

世界を愛で語るブログでした。急激で強引なまとめやったのに、最後まで読んでくれて、ほんまにありがとうな⤴️⤴️皆様、ほんま、愛してるで。ほなまた。

The 3rd Shot

The 3rd Shot

妻の3回目の接種後に、珍しくお外でお食事です。

こんにちは。

今日、まさに、3回目の接種を受けます。

蔓延防止の制約の中ですが、今月末に妻のご両親とお会いするので、スケジュール的にぎりぎりになりました。

妻は昨日受けて、念のため今日まで休業中です。

娘の学校のクラスも学級閉鎖。目に見えない戦いなので、やはりやれることはすべてやって、後は神様に委ねます!

 

前もって助ける愛のワクチン

 

世界を愛で語るブログでした。コロナがもたらすすべての問題から、皆様が守られますように。

人にはどれだけの土地がいるか

人にはどれだけの土地がいるか

作画の小林豊さんのサイン入りの絵本が我が家にあります。

こんにちは。

私はトルストイの絵本が好きです。娘が小さい頃にもたくさん読み聞かせをしました。

一番娘が好きだったのは、「くつやのマルチン」でした。

マルチンという貧しい靴屋が、自分も貧しいのにもかかわらず、イエス様のおっしゃったとおりに、人々に施し、優しい心で接します。すると、実はその人々を着てイエス様が現れていたのだ、と、イエス様が夢で現れて、教えて下さったのでした。イエス様に会えた!マルチンは感激のクリスマスを過ごします。

「人にはどれだけの土地がいるのか」はまるで、これと対になるような絵本です。自分の土地を持たない農夫が、自分の土地を持ちたいと欲張り始め、人々への憐れみの心を失います。

そして、次々とおいしい話が持ちかけられ、あれよあれよという間に大きな土地を手にして、最後にはとてつもなく雄大な土地を手にしそうになりますが、そこで、力尽きます。

そこに、悪魔が現れ、おいしい話を持ちかけたのはすべて悪魔であったことを種あかしし、農夫を嘲笑います。

そして、農夫は手に入れた土地を使う間もなく死んでしまい、たった2mの土地に葬られるのです。農夫の召使いは「人は、最後にこれだけの土地があればいいのだな。」と呟きます。

人の心を失ってまで、得る土地とはなんでしょうか。

どんな人にも、家族があり、愛する人たちがいます。

自分のことのように感じられるかの強度に違いはあっても、やはりこの地球上に戦争があることに心が痛みます。

キリストは、誰か一人でもその命が危険にさらされるなら、どれほど心を痛めるでしょうか。

ウクライナで起こっている悲しい出来事にかかわるすべての人たちのために、続けてお祈りしたいと思います。

世界を愛で語るブログでした。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

Pray for Ukraine

Pray for Ukraine

ウクライナの国旗は、青は空、黄色は小麦や農業を意味しているそうです。

皆様、こんにちは。

この地球上で、1945年以降、最大規模の戦争が始まってしまいました。

命を愛する神様に、戦争を望まない世界中のすべての人たちと共に心を合わせて祈りたいと思います。

皆様、どうかご無事でいてください。

愛の祈り

クリスチャン弁護士は、この戦争にかかわるすべての人たちの命が守られるように、皆様とともに祈ります。

молимося за Україну.

笑いの科学~笑いがもたらす家庭平和

笑いの科学~笑いがもたらす家庭平和

こんにちは!前々回「笑い愛」を書いたら、妻が

「あまりに笑いすぎると声が出ない笑いをし、その笑いが続いて腹筋が鍛えられ、なおかつ涙が出た。」

と関西人らしいコメントを寄せてくれました。

実は、こういう笑いは、科学的には、人間が進化の過程で獲得したSocialな笑い(意識的な笑い)とは異なる、原始的な笑いであり、Socialな笑いとは、発声法も全く異なります。

空気が肺から絞り出されるため、高音で笛を吹いたような変な音がなり、鼻音性があり、同時に言葉を発するのが困難になります。

このような笑いを聞くと、聞いた人たちの反応も異なります。

Socialな笑いに対しては、人はその意味を探ろうとするのに対して、こういう笑いは純粋に聴覚で音としてとらえますし、こういう笑いは特によく伝染します。

そして、このような笑いは、コミュニケーションにも非常にポジティブな意味を持ちます。

夫婦関係の長期的変化を研究した実験では、

夫婦関係が悪化し、イライラして、身体的にも影響が出るようなとき、

それを笑いのようなポジティブな感情で処理する場合、ストレスが軽減すだけでなく、身体的な快適さも増すことが分かっています。

その結果、夫婦は不愉快な状況を「協力して」処理することができるので、夫婦関係に満足度が高くなり、より長く続くのだそうです。

これは、夫婦関係に限らない、親密な関係性一般に拡張してもおそらく問題ないでしょう。

つまり、

どのくらい笑っているか

は、親密さのとても有益な指標になるのです。

一緒に心から笑うことで、難しい環境や状況において、感情を一緒に調整し、心地よさを一緒に産み出すことができるからです。

だから、私たちは、一緒に笑うべきなのです。心から。

そして、もし、神様と一緒に心から笑えるなら、私たちは神様とも親しくなれるのかもしれません。

すみません!全部、最近英語の勉強もかねて聞いているTEDのほぼ受け売りです。興味があるかたは、ぜひ聞いてみてください!

なぜ私たちは笑うのか ソフィー・スコット

とにもかくにも

 

難しいときこそ、一緒に、心から笑おう

 

世界を愛で語るブログでした!読んでくださり、ありがとうございました✨

 

読書記録

読書記録

少し前に雪が降ったときに、娘たちが作った作品です。

こんにちは。1日10ページの聖書通読を続けているクリスチャン弁護士です。

今年もいよいよサムエル記が終わり、ダビデ王から歴史のバトンはソロモン王に渡されます。

それはさておき、聖書以外の読書では、ここ数日間、アガサ・クリスティの作品にはまっております。1週間で、もう4冊読みました。

名探偵エルキュール・ポアロのシリーズです。

ポアロは、160センチくらいの小太りで綺麗なお髭が自慢の男性で、ひたすら頭脳だけで事件を解決します(容姿はさえない感じなんですが、、、その割に、挿し絵ではめちゃくちゃ格好よいのが、、、)。

ホームズやルパンのような派手さや格好よさはないですが、その分思考の緻密さと、紳士的な立ち居振舞い、対話の上手さが際立っています。

今日読んだ「ナイルに死す」という作品では、ポアロがさまざまな聖句を引きながら、人の心をよい方へ導こうとする場面などもありました。

とにかく対話能力が高い!

アガサ・クリスティの作品は、奇想天外なトリックもさることながら、女性作家らしく、どれも人の心の内面の描写が多く、好みは分かれると思いますが、クリスチャン弁護士はかなり好きです。

1900年代の欧米の雰囲気が、人々の内面の描写からもすごく伝わってきます。

もともと娘のために借りてきたのに私がはまってしまいました。

そういえば、かの新約聖書に登場するスーパー宣教師パウロも、会ってみたら自信がなさそうな小男、などとご自身でおっしゃったりしていました。

偉大なことをなすのには、身長は必ずしも必要ないのかな、と思うと、ちょっと安心します。しかし、言葉は大事。

神様も言葉で世界を作り、イエス様も福音で歴史を作りましたし、パウロも手紙で真理を伝えました。

言葉で伝える神の愛

世界を愛で語るブログでした!最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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