芸術とコロナと愛
皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、第51回です。
最近、「芸術はなぜ人間に必要なのか。」というテーマで思考を巡らせています。
その中で、参考書の1つとして読んだのが、写真の本です。
コロナ期間に、私たちは特にライブの芸術を生活から剥ぎ取られてしまいました。この本にある美術館もその1つです。それで、芸術のない生活の中で、ぼんやりと芸術の意味について考えていました。
そんな中、ドイツのメルケル首相の印象的なスピーチを拝見して、改めて、どうして芸術が人間には、自分には必要なのだろうか、と、本格的に考え始めました。
メルケル首相のスピーチ↓
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/21933
とても胸を打つスピーチなのですが、もっとよく自分の言葉で言語化して腹落ちしたい。。。
特に、この部分。
「文化的イベントは、・・・アーティストと観客との相互作⽤のなかで、⾃分⾃⾝の⼈⽣に⽬を向けるというまったく新しい 視点が⽣まれるからです。
私たちは様々な⼼の動きと向き合うようになり、自ら感情や新しい考えを育み、また興味深い論争や議論を始める⼼構えをします。私たちは(芸術⽂化によって)過去をよりよく理解し、またまったく新しい眼差しで未来へ⽬を向けることもできるのです。」
この本にも、こんなコメントがありました。
「展覧会は、本来は観客が展示作品と一対一の会話を楽しむものだ。
とりわけいくつもの作品を同時に見ることで、美術への新たな見方が広がる。そして解説パネルやカタログを読んで、新たな知識を得る。そんな知的で静かな楽しみが・・・」
しかし、知的な楽しみ、というだけでは、知性が、表面的で自分を飾るようなもので終わってしまう恐れがあります。それだけで終わるなら、芸術は消費の対象に堕してしまう。。。
本当の知性は、そこから自分自身の魂と深く結び付かないといけない、とぼんやり考えました(妻氏はこういう営みを自然にできる天才肌です。)。
メルケルさんがおっしゃるような新たな心の動き、感情、考えを受け入れ、過去を理解し未来に目を向けるというところまで落としこむには、メルケルさんのこの言葉をしっかり受け止めなければならないかもしれません。
「⽂化的供給が表現しているのは、私たちについてであったり、私たちのアイデンティティについてだったりします。」
そうか、文化的な営み、芸術は、自分自身を投影するものなのかあ。
これを改めて確認して、少し納得しました。確かに、芸術をとおして、気づくことのできなかった自分自身を発見できるのなら、それは本当に貴重だ、と。
結論を出すのはまだ早い。しばらくの間、もう少し、思考を深めて見ようと思います。
芸術をとおして、自分を愛する(続く)
世界を愛で語るブログでした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。