月別: 2023年11月

研究心3 反射的な言い分の合理性

研究心3 反射的な言い分の合理性

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログです。

私は結婚して12年ほどになりますから、妻とはそれ以前からも含めてのお付き合いとなり、それまでしてきた、対話の数を数えると、1日一回でも4000回ほどになります。

いい加減、以心伝心となりそうなのですが、コミュニケーションというのは奥が深いと感じることがありました。

今朝、私の携帯にセットしてあるタイマーがバイブで作動し、ブブブッ、ブブブッ、と、4-5回くらい、鳴り続けました。

家には娘はおらず、妻は起きていて、私は仮眠していましたが、私がぱっと起きて止めました。すると妻が

「こういうとき、私は気にならん、いつか止まる、と思うけど、あなたは気にして止めるんだよね、面白い」

と笑いました。それは、私も、長年の付き合いで分かっていました。しかし、私は反射的に

「他の人が気になると思って」

と話しました(私声が小さいので妻に聞こえてたか不明)。ここで対話は終わりましたが、よく考えてみますと

他の人が気になる→ しかし唯一の他の人である妻は携帯のバイブ気にならない→ 他の人が気になるだけなら止めなくてもよい

となるはずです。

それなら、わざわざ他の人を理由にバイブを止める必要はないわけです。

そこでもう一度自分でも考えてみると、「他の人が気になると思って」というものの、本当に気になっているのは自分だったのではないか、と考えるようになりました。

それなのに、反射的に(自分なりに)見映えのいい(と考えている)言い分をしていたのかもしれない、、、とさらに考えてみましたが

別にだからといって本当に見映えがいいわけでもなく、

実際には「家には妻しかいなくて、妻はバイブ気にならない」まで考えてなかった、ということでした。

そりゃそうか、寝てるんやし。気になる人が起きてたら自分で止めるやろうし

結論はですね。

私は考えすぎで、妻の言語化は過不足なく的確だった

ということでした。深くもなんともないやん。

まあ、自分の心を研究し、点検することは大切です( ̄▽ ̄;) 反射的な言い分に自分の心が現れることはままあるので。

油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。(旧約聖書 箴言 4:23)

神様は、私たちの心をいつも見られます。

わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る (旧約聖書 サムエル記上 16:7)

皆様もこのブログを温かい心で見守ってください、、、世界を愛で語るブログでした(^_^;)

研究心2

研究心2

こんにちは、世界を愛で語るブログです。

研究心は大切です。前回、私がいかにバナナを早く食べるかについて研究して、語り草となった話をしました。私のもう1つの研究実績に、「登り棒マイスター」の称号があります。

もはや30年ほど前の話ですが、私の通っていた男子校は、体育祭で、みんなで立てた長い竹を選抜された選手が登り、てっぺんに旗を差して降りてくる、というのをリレー形式でおこなう競技がありました。

このリレーの選抜選手は、足の速さではなく、とにかく竹を登るのが速い人が選ばれます。

そこで、私のチームでは、選抜選手は、登り棒を登る速さで決めることになっていました。

私はここでも、ただ純粋に速く登りたくて研究しました。

このときは、当時、英語のサイドリーダーの授業で聞いていた馬の走り方を参考にしました。

それまで私は、馬の並足のように両手で交互に棒をつかみながら登っていたのですが、あるときから、これを馬のギャロップ式に変えたのです。横に走るのではなく、縦に登るのですが。

上が並足、下がギャロップです。

どういうことかというと、まず、両足の裏で棒をはさみ、力強く両足で棒を蹴り上げ、その勢いで上方に両手を思い切り伸ばし、できるだけ高い地点で両手で棒をつかむと、今度は両手の腕力で思い切り、体を引き寄せ、両足で一番高いところで棒をはさみます。そしてまた蹴る。

これを2回繰り返すと、ほぼ登り棒のてっぺんまで来られることが分かりました。

この方法で、私はそれまで誰も破ったことのないてっぺんまで3秒の壁を破りました。

仲間もびっくりして、この私のギャロップ方式を研究していましたが、当時の私の軽量で腕力に卓越していたという特徴がなせるわざでもあり、真似できた人はいませんでした。

つまり、今や、私自身にも再現できない、幻の技です。なぜだろう。

研究心は大切です。体重管理も大切です。

またもやネタ回の世界を愛で語るブログでした。

研究心1

研究心1

こんにちは、世界を愛で語るブログです。

今日、昔からの友人に会い、その昔、うちわで行ったバナナ早食い競争で、私が記録的な早さで優勝したことが話題に上がりました。

面白いネタとしていただけるのは、関西人の妻を持つ夫としてはありがたいことですが、あれは研究心の賜物です。

そのとき、バナナ早食い競争は、確か、5、6名の男性たちで行われました。

その場には何人か観衆もいて、私は特に理由もなく本命に押され、なんとなく面白いことをしろという圧を感じていました。

しかし、私は、ただ純粋に勝利を目指していました。

そして、本番までの短い時間で、私はいかに早く食べるか、バナナの食べ方を研究しました。研究対象にしたのは、「バナナを食べるゴリラ」の姿です。

ゴリラは、バナナを片手に持って、真っ直ぐ食べて、皮だけを口から出す姿を見たことがありました。その間1-2秒。あれだ。どうしたらあれができるのか。

私は、ゴリラは、歯で皮を剥きながら食べている、と短い時間で結論付けました。そして、皮を剥きながら食べれば、ゴリラのようなスピードで食べて勝利できると確信しました。

そして、実際に本番で、右手で皮を剥きながら、左手と口で剥いてるそばから、ぐいぐい食べていくという方法で、断トツのスピードで勝利したのでした。

あの時の会場の熱狂と盛り上がりは、その後もなかなか出会えないほどのものでした。

とにかく、皆様、研究心は大事です。

今回はネタ回の世界を愛で語るブログでした。

愛を受け取る気持ち

愛を受け取る気持ち

こんにちは。世界を愛で語るブログです。

最近、愛で世界を語るには、あまりにも痛ましいニュースが多いです。

クリスチャン弁護士も、弁護士としてよりも、クリスチャンとして、神様の前に真実に祈らなければならないと感じます。

そんな中、今朝は11歳の娘が、私と妻の分のお弁当も作ってくれました(本人の分も作りました)。写真は私のお弁当です。鮭は味噌焼きされていました。クオリティがかなり上がっていますΣ(゚ロ゚;)

こういう嬉しさ(ノ≧▽≦)ノを言葉に表現するのが難しいです。

ただ、娘がこのようにしてくれることを受け取るとき、人間から愛を受けられる時の神様の喜びも、このようなのかな、と感じます。

以前は、何か買ってあげた時の反応がとても愛おしかったのですが、少しずつ、してくれるようになるんだなあ、と思うと感慨深いです。

神様の愛も、私たちの愛も喜びも、このような生の中に全てあります。

そして、今も戦争のなかで、失われている人々の生の中にも、このよう神様の愛も家族の愛も生きているはずです。だからイエス様はおっしゃいました。

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。(マタイによる福音書5:43-44)

しかし、ひとたび戦争となれば、その中で、自分や家族を殺そうとする敵の前でこのとおりにすることが、どれほど難しいでしょうか。私たちは、そのとき、恐れや憎しみに勝てるでしょうか。

実際に3年以上、兵士として戦争を経験した、私たちの教会の創始者である牧師さんは、イエス様の教えを守って、敵の兵も絶対に殺さず、捕虜として連れてくるようにしていたそうです。そうしてこそ、自分の命も助けてくださると信じて、実際に生きて帰ってこられました。

そして、「命を生かさなければならない」「敵も神様がつくった命だから絶対に殺してはいけない」ということを悟った、と私たちに教えて下さいました。

経験してみてこそ分かることがあります。私はこの牧師さんの言葉を信じています。

そして、私自身は戦争は経験していませんが、神様の下さる愛と平和のありがたみは分かります。全ての人に同じ恵みがとどまることを心から願って、全ての命のために続けて祈りたいと思います。

世界を愛で語るブログでした。

Theme: Overlay by Kaira ©クリスチャン弁護士が世界を愛で語るブログ 2020