カテゴリー: 日常

Let’s プロギング

Let’s プロギング

何をしてるのか?ゴミを拾っています!

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、2022年第3回です。

1月9日に、Sail of the Lord Churchの仲間が主催する「あだちSOLV」のClean Up活動、「プロギング in Adachi」に参加してきました!

https://twitter.com/adachisolv?t=i5mdWAI1WS0tmWip5WbJTw&s=09

「プロギング(plogging)」とは、スウェーデン発、いまや世界に広がる、ごみ拾いとジョギングを合わせたニューフィットネス、といわれています。

簡単にいえば、走りながらゴミを拾い、拾ったゴミの量や走った距離を計測して、健闘を称えあうという、環境と健康、地球と自分にいいことしかしない活動です。

とはいえ、

走りながらはちょっと、、、

最近運動してない、、、

子供が、赤ちゃんがいる、、、

という方には、マイペースで歩きながらでも、子供連れでも、ベビーカーを押しながらでもOK(うちだけかも)という、万人に対する優しさも兼ね備えた愛溢れる活動です。

というわけで、我が家も妻、娘と揃って参加しました(当然歩き。)。なんとなく敬遠されがちな清掃活動ですが、娘のお友達のご家族と一緒にやってみると、わいわいがやがや楽しいイベントです。

我が家の娘とお友達は、

– 終わったら重さ計ってくれるならやる気出る!

– 終わったらお菓子くれるなら、それもいい!

とおっしゃってました。まあ、そうだよね。楽しいが一番。

また、娘は、ごみ拾いしながら、留置場と刑務所の違いについて、お友達に熱弁してました。

私は教えてません。でも正しく理解してました。本で読んだそうです。。。

とにもかくにも

神様の愛は、地球に優しく、人に優しく、自分にも優しく、そして楽しい

最後におまけのクイズです!

はい、これは娘の書いた動物の絵です。何でしょうか?

正解は次回のお楽しみ!

世界を愛で語るブログでした!最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

平和が一番、不和は一万

平和が一番、不和は一万

ぴりーちゃんは、家族がお出掛けのため、お留守番してます(ご近所に預けられております)

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ2022年第2回です。

お正月なので、妻の実家に来ています。

いつもとても美味しいお食事でもてなしてくださる妻のお母様、お父様には本当に感謝です。

しかし、うどんすきで、和やかな食事のなか、、、

大人たちの間で、

「うどんが柔らかい!出汁が薄い!大根が大きい!」

などと不平不満をのべるもの。

「そんなら自分で、やりいや!」

と、やり場のない怒りを返すものが現れ

そして紛争が勃発!!!!!せっかくの和やかな食事が、一触即発ぎりぎりの空気に!!!!

    

そこへ、、、

  

「喧嘩するな!喧嘩したら罰金!」

  

おおお天の声か!と思いきや、9歳の娘の大きな声でした。

「それなら、喧嘩したら100円!」

「いやいや、1000円!」

「いいや、一万円や~!」

と、かわいい9歳の正論の前に、大人たちが罰金の競り合い状態になった結果、「喧嘩したら一万円」ルールが発動。

し~ん、、、

自ら課した罰金一万円の威力の前に静まり返る食卓。そして、何か少しでも不穏なことをいうと、娘が、「今の発言は、じいじをバカにしていませんか。」などと、早々にイエローカードを出す異例の展開。

その後、娘は別室にいく時も、「いつも聞き耳をそばだててますからね。」と通達し、緊張感を保たせる完璧なマネジメントで、妻の実家に平和がもたらされたのでした。

平和をつくり出す人たちはさいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。(新約聖書 マタイによる福音書 5:9)

さすが神の子というべきか。幼子をとおして働かれた神様に感謝します。

家庭から平和と愛を

世界を愛で語るブログでした!今日は雪ですね!皆様、素敵な新年をお過ごしください。

年始ご挨拶

年始ご挨拶

新年はもちろん、こちらからです!

明けましておめでとうございます。世界を愛で語るブログ、2022年第1回です。

昨年は更新数が少なかったので、今年は初めから心を新たにして書いていきたいと思います。

昨年も無事に新約から始めて旧約に戻り、聖書を一読できました。

昨年の感想は、一言でいえば、「神様は一貫して変わらないが、人間がぶれすぎる。。。」ということでした。

ぶれないで自分が神様に寄せていけば、絶対にうまくいく、とも改めて思いました。

その他にも、新しい発見もたくさんありました。今年も更なる発見を目指して、今回は旧約からスタートしようと思います。

ところで、日本の祝日は、「国民の祝日に関する法律」に定められていますが、今年は1年に9回、三連休があるそうです。ゴールデンウィークも平日が挟まるので工夫が必要そうですね。

とにもかくにも強引に法律に寄せてしまいましたが、、、

始めから終わりまで神様の愛を語ってがんばります

年始のご挨拶でした。本年も皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

今年も終わりですが、、、

今年も終わりですが、、、

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、2021年第27回です。

後20日くらいで2021年も終わります。まさに、もうすぐ、2021年とさようならをする時です。

そんななか、先日、70代の親族の方が、すい臓癌が原因で亡くなられました。

ご時世なので、家族葬という形でお見送りをするということで、妻娘と3人で参列させていただきました。

旧約聖書には、祝いの席より悲しみの席に行くほうがまさる、とあります。

旧約聖書 伝道の書7章

1. 良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる。

2.悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。

伝道の書は、肉体の人生に限りがあること、そしてそれがいかに空しいかを、地上で最も栄華を享受したソロモン王が語るので、そこに説得力があります。

ソロモン王は、肉体は塵になって終わり、神様のもとに行くのは霊だから、若いときから、肉のことだけでなく霊のことを考えて生きなさい、と語ります。

亡くなられた方の遺影を見ながら、その霊のことを神様に切実にお願いしてお祈りしました。そして、最後のお別れをして、肉体は火葬されました。

当たり前ですが、その肉体は二度と生き返ることはありません。

聖書には、預言者やイエス様が、死んだ人を生き返らせる場面はあります。

しかし、火葬されて骨になった人が生き返る、ということはさすがに記されていません(たとえば、エゼキエル預言者が幻で見たものは別ですが)。

使徒パウロが、私たちは日々死んでいる、と言い、肉だけに生きることから霊を考えて生きるようになることを、死ぬ、と表現されましたが、完全に死ぬというのは、生き返ることは絶対にないくらい、骨と灰になるくらいなのだと実感しました。

死ぬほどがんばる、とか、死んだ気でやろう、とよく言いますが、過去の自分に戻ることがないほど、完全に変化するなら、確かに死ぬことと同じだなあ、と思います。

平たくいえば、使徒パウロは、毎日死ぬほど神様を愛している、神様の気に入られるように変わりたい、と告白していたんだなあ、などとも考え込みました。

そのくらいもっと頑張らなあかん。年末やし最後くらいもっと頑張ってみよう!

そんなこんなで感慨深く考えていたら、9歳の娘が、「死んだら、遺留品はどうなるのか?相続というのは知っているが、親も子供もきょうだいもいないとどうなるのか?」等と、熱心に聞いてきました。

弁護士なんてそんなもので、おおっ!いいとこ気づいたね!それな!と瞬間スイッチが入って、「原則は国に持ってかれるから、そうしないためには、、、」等と、小学生相手に、若干本気で相続のアドバイスをしてしまったのでした。

とにかく

年末まで、死ぬほど頑張って神様愛してみよう

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。今年も、最後まで、もう少しだけ、お付き合い下さい。

水を飲むように本を読む

水を飲むように本を読む

※夏の思い出の一枚、、、今年はこいつが流行りましたね。しかし、写真は本文と全くとはいいませんが、ほとんど関係ありません。

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ2021年第26回です。

最近、すごいたくさん図書館に通っています。一週間に、だいたい2-3回、多いときはもっと行きます。

なぜでしょうか。

まるで、水を飲むように本を読むからです。

私ではなく、娘ですが、、、。

10冊以上借りてきても、2、3日、早いときは本当に1日で読んでしまいます。

学校から記録しろといわれて記録しているのですが、今年も年間1000冊を超えるペースです(゜_゜;)

それだけ読んでいると、本の味も分かるようで、親が読んでほしいというよりは、自分が読みたい、美味しいと思う本を読みます。そして、、、

隙あらば読む。

ご飯を食べながら、読む。

学校にいくぎりぎりまで粘って、読む。

お風呂でも、読む。

スケボーの上でも、読む。

寝る時間もぎりぎりまで粘って、読む。

本当に娘ながら、すごい執念、、、。おかげで、好きな作家だけでなく、挿し絵のイラストレーターにも推しがあります。

そして、それを分かって、日々図書館に通うのが、パパの日課の大きな部分を占めつつあります、、、ていうかもう3年くらい占めてます、、、。

そんな娘に触発されて、滞っていた聖書通読を再開しました。読み始めたらやっぱり面白い!聖書、、、(このことはまた書きます)。

それにしても、やらずにはいられないというか、隙あらばやろうとするくらいでないと、本当に好きとか愛してるとかいえないですね。。。

神様も、私たちのことが好きで、愛しているから(先にお伝えしました(*´∀`)♪)、きっと隙あらば助けようとしてくれているかもしれない!楽しみにしながら生活したいと思います。

隙あらば愛する

世界を愛で語るブログでした。最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

夏休みの自由課題

夏休みの自由課題

これは何でしょう?

皆様、ご無沙汰しています。世界を愛で語るブログ、2021年第25回です。

ご無沙汰している間に夏休みが終わりそうでしたが、なんとなく延長されました(* ̄∇ ̄*)

うちの子も学校の宿題の中に、「自由研究」がありましたので、今回は紙の作り方を研究しよう!ということで、最初は紙の博物館さんにお邪魔して、紙のできるまでを娘がスケッチブックにきっちりまとめました。

紙の博物館さん

https://papermuseum.jp/ja/

その中で私たちの心を惹いたのは、

「西洋紙は劣化するが、和紙は1000年持つ。」

という和紙コーナーでの説明でした。薬品をつかわず、料理でいう繋ぎに植物由来の成分を使うからだそうなのですが、とりあえず

1000年は、ワクワクする

ということで、最終日に和紙作りをすることになりました(予約がいっぱいでこの日しかとれませんでした)。

場所は小津和紙さんです!

https://www.ozuwashi.net/

最近聞いた話では、1990年初めの最新の映像記録媒体は、どんなに頑張っても100年しかもたなかったそうです。

和紙は1000年もつ。誰かの直筆の言葉が、1000年間そのまま残る。イエス様は直筆の言葉を残せませんでしたが、今ならどうだろう。とか。妄想します(´▽`)

さて、冒頭の写真は、紙をすく器械です。

「紙をすく」とは、水の中に浮いている、木の皮からできた繊維を、すくってからませていく作業なのです。

木の皮の完全に白い部分だけを取り出すのに手作業で5時間以上かかり、その白い部分を水にひたして繊維に分解し、縦横に絡ませていくという、、、。やはり、いいものは手間がかかるのですね。

白いきれいな紙になるには、

1. 徹底してごみを除くこと。最初は大きな部分を除き、最後は小さな塵のようなごみまで徹底して除くことです。

2. そして、縦と横にふって、正確に繊維を絡ませることで、繊維を固く結びつけることです。正確にふらないとやり直しにされます。

聖書ではちりは罪にもたとえられます。小さな罪までなくさなきゃ。縦横は、神様への愛ときょうだい愛。縦横両方の愛だ。

紙だけに神を悟ります!(*´∀`)♪

完成しました!妻氏作品
娘作品!

模様は実物で見るとさらにきれいです!二人ともとても上手でした!

これで宿題も無事終了です。

なお、このあと、「自由研究」って、そもそも研究するかどうかも自由なんではないか?という話がありましたが、、、

そこまで自由なんかい!

紙を作って人間を創った神の愛を知る

世界を愛で語るブログでした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

プールとチューペットと花火

プールとチューペットと花火

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、2021年第24回です。

今年もプール開きの季節がやってきました。昨年より遅いですが、娘とおともだちがこちらで楽しく過ごしました。

とても暑いので夕方からスタートで、ナイトプール的な世界観です。

娘たちは夏休みです。娘が、「夏休み長いな~。」というので、「瞬間で終わるよ。」と大人げなく答えてしまいましたが、

子供の頃は、ながーく感じられる夏休みが始まる頃が、人生でいちばん幸せな時でしたよね(親になるとその逆であったりする。)。

娘が借りてきた「ズッコケ三人組」シリーズによれば、昭和の子供の夏休みは、

水泳・スイカ・花火

だったそうで、それらを揃えてあげられたらいいなあ、と思い、ちょうどスイカと花火もありましたので、それとなく娘たちにふってみたところ、

スイカよりチューペットがいい

とのことでした。これが令和か(チューペットは昭和にもあったような気もしますが。)。

花火はやりました(写真が激しすぎるのですが、普通の花火です。)。

というわけで、令和の夏休みは

プール・チューペット・花火

にかなり個人的に決めたいと思います。季節こどにすべきことがあるのは本当にありがたいです。

なお、我が家のもう1人の娘は

ソファーで寝てました。

季節ごとの楽しみを下さった神様に感謝します。

季節ごとの喜びと愛

世界を愛で語るブログでした。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

奇跡の40年(数字の神様2)

奇跡の40年(数字の神様2)

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ2021年第23回です。今回も数字で語る?ブログです。

またまた最近の裁判ですが、こちらは求刑40年という事件がありました。

https://mainichi.jp/articles/20210715/k00/00m/040/248000c

何が奇跡かというと、日本では、通常、裁判で無期懲役を選択しない限り、期間のある懲役(有期懲役、といいます。)の刑期の最大は、どんなに罪を重ねても30年なんです。

しかし、今回、40年という求刑になりました。これは、そこそこ珍しい求刑です。

普通、2つ以上の犯罪を犯して裁判をする場合で、懲役になる時は、刑期の上限は、どんなにたくさん罪があっても、一番長い刑期の1.5倍までと決められていて、そのまま足し算にはならないのです。

無期懲役以外の懲役刑でいちばん長いのは20年なので、懲役刑は、通常であれば、無期でなければどんなに長くても30年までです。

しかし、例外が一つだけあります。それが、真ん中の犯罪が先に見つかって、判決を受けた場合です。

できるだけ分かりやすく説明するために、ある人が、A、B、Cの順番で、犯罪を犯したとします。

時系列どおり、Aが先に発覚して判決を受け、それからB、Cと発覚して同時に判決を受ける場合、BとCは併せて30年が上限になります(しかし、このケースは、ほとんどの場合、ABCまとめて判決されます。)。

Cで先に判決を受けてから、A、Bが発覚して裁判をする場合は、A、B、C全部併せて上限は30年になります。

しかし、Bが最初に発覚して判決を受けると、AとBを併せて30年という上限はあるものの、Cは全く別になり、AとCは併せて最大40年まで判決できることになるのです。そして、AとCがそれぞれ複数あったりしますと、最大は60年になります。

不思議なことなのですが、これは制度の問題で致し方ありません。

そういうわけで、今回は40年という求刑になりました。40年というと人の一生を考えるととても長い期間です。刑期が終わる頃には、自分もおじいさんになるか、刑期の中で人生を終えるかもしれません。

聖書でも、40年は特別な期間です。そう、まさに刑罰の期間。

イスラエル民族は、モーセに導かれてエジプトを出ました。十の災いが起こり、紅海が割れるなど、めちゃくちゃ奇跡の連続だったのに、この人たちは、エジプトから出ると、すぐに生活が辛いといって神様に不平不満ばかり言いました。それで、目的地のカナンに行くことを一向に許してもらえませんでした。結局、途中の何もないシンの荒野に40年間、いるしかありませんでした。

40年ですから、不平不満ばかり言っていたイスラエル民族の大人たちは、みるみる年を取って、目的地の、乳と蜜の流れる理想郷といわれたカナンに入ることができないまま死んでいきました。そして、モーセもカナンに行くことができずに死に、その付き人だったヨシュアと、シンの荒野で生まれた子供たちが、エジプトを出て40年が過ぎてから、ようやくカナンに入ることができたのでした。

いわば、刑罰の40年。シンの荒野で生まれた子供たちも立派な成人です。人の人生にはあまりにも長すぎる。神様には、やはり不平不満よりも、いつも愛と感謝の心で接したいものです。

愛と感謝で刑罰よりも祝福を

世界を愛で語るブログでした。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

7年の重み(数字の神様1)

7年の重み(数字の神様1)

皆さま、こんにちは。世界を愛で語るブログ2021年第22回です。今回は数字で語る?ブログです。

最近、著名な交通事故の裁判で、検察官が禁錮7年を求刑した事件がありました。とても話題になっているので、ご存じのかたも多いと思います。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/116875

禁錮というのは、懲役と異なり、刑務作業がなく、刑務所にその期間入るだけの刑罰のことです。交通事件の刑罰は懲役ではなく禁錮になることが多いです。

そして、実は、この7年という数字には、目には見えない重みがあります。

刑事事件の裁判では、最終的に判決を出すのは裁判官です。しかし、その手前で、刑罰を要求する検察官と、被告人を擁護する弁護士は、それぞれ、判決に対して意見を述べることができます。この時の検察官の意見を求刑といいます。

有罪率が98~99%といわれる日本では、判決のほとんどは、検察官の求刑の7~8割に収まると言われています。

また、検察官は、判決が求刑の半分以下になると青ざめます。実は、求刑の半分以下になると、その検察庁で、検察官全体が参加する会議で判決を検証し、控訴、すなわち一つ上の裁判所に訴えるかを決めなければならないからです。

ですから、検察官の求刑には、それなりに重みがあります。

そして、今回の求刑は禁錮7年でした。もちろん、可能な求刑として最大というのもあるのですが、これは6年とは全く意味合いが異なります。

6年の半分は、3年。3年は、執行猶予が付けられる上限の期間です。執行猶予というのは、簡単に言えば、判決を受けても、一定の期間、他の犯罪を犯さずに過ごせば、刑務所に行かなくてもよい、という制度で、これがつくと刑務所にいかなくてすみます。

しかし、7年の半分は3年6ヶ月です。つまり、求刑の半分になっても、執行猶予はつけられません。必ず刑務所にいきます。このような刑務所にいく判決を、執行猶予のついた判決と区別して実刑判決といいます。

今回のような有名な事件では、おそらくかなり上まで話が通った上で、求刑が決まっています。

その上で、求刑が7年というのは、検察官、検察庁は、刑務所にいくこと、3年以下で執行猶予がつけば、必ず上訴する、実刑判決を断固として求める、という意思表示でしょう。7年には、そこに込められた意味に重みがあります。

聖書でも、7年というと、ヤコブがお嫁さんをもらうために働いた期間であり、一定の苦労する期間として書かれています(実際には、お嫁さんを2人もらったので、7年を2回、14年働いたのですが)。

聖書の数字にも意味があります。そこに込められた神様の思いにも、心を馳せたいと思います。私たちの人生にも、神様の数字があるのに気づけるでしょうか。もし、そこに込められた神様の気持ちが分かったら、私は嬉しいです。

愛の神様は、数字の神様

今回は、世界を数字で語るブログでした。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

父の日はカレーの日

父の日はカレーの日

皆様、こんにちは。世界を愛で語るブログ、2021年第21回です。

我が家では、毎年、父の日に、妻と娘がカレーをふるまってくれます。

なぜなら、私がカレーが好きだからです。カレーは世界三大発明と認定したいと常々申し上げています(※個人の見解です。)。

世の中に たえてカレーのなかりせば パパの心はのどけからまし

(世の中にカレーが全くなかったら、今日はカレーかな、などと心を惑わされることもなく穏やかに過ごしただろう。それほどカレーは魅力的なのだ)

と、一句読んでしまうほどです。

今年のカレーは、本当にそれはそれは絶品でした。写真にとるのを忘れましたが、、、

しかも今年は、デザートコーナーまで設けてくださり、写真のようなプレートも用意してもらいました。

中はどんなだろう?

こんなでした!

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